当時先行して販売が終了していたパークシティ武蔵小杉シリーズ2棟から、間を空けてのデビューでありながら、3棟で一つの大型開発となること、その当時としてはチャレンジ価格での販売を目指すべく“唯一無二性”を訴求すること、東日本大震災後のタワーマンションとして、いかに防災面での安心感を出せるか、など課題の多いプロジェクトであったが、竣工までに完売を果たすことができた。また、その後の防災タワーマンションの訴求手法の礎となる“防災マニュアル”の策定や、防災システムの訴求など、販促以外のクリエイティブでも実りの多い物件であった。